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マレーシア・ニュースコラム

中村 正志 Masashi Nakamura
(アジア経済研究所)


政治動向を中心にニュースを整理し,若干のコメントをつけます。年数回更新予定。
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2000年12月12日 開設

■第1回 統一マレー人国民組織(UMNO)党規約改正問題 2000年11月
■第2回 プタリンジャヤとその周辺におけるマレー人とインド人の衝突事件 2001年03月
*バックナンバーは各回の題名をクリックして御覧下さい。


第2回 プタリンジャヤとその周辺におけるマレー人とインド人の衝突事件
 (2000年3月)

【要約】
 2001年3月8日,クアラルンプールに隣接するスランゴール州プタリンジャヤ市のクラン・ラマ通り(Jalan Klang LamaまたはOld Klang Road)沿いの集落でマレー人住民とインド人住民が衝突した。10日までの衝突でインド人5人,インドネシア人1人の計6人が死亡。負傷者数は明らかにされていないが,50人を超えるものと思われる。被害者の多くはインド人である。3月22日までに警察は314人を逮捕し,うち77人が起訴された。
 クラン・ラマ通り沿いのカンポン・メダン周辺地区で始まった今回の衝突は,数日間のうちにクアラルンプール市内を含む周辺地域に飛び火し,多数の負傷者を出した。14日頃にはいったん沈静化したものの,22日には再びカンポン・メダン周辺で4人の負傷者が出た。警察は衝突のあった地域に大量の人員を配置し警戒にあたっているが,8日〜9日の比較的規模の大きな衝突の後は,1人あるいは数人のグループが住民や通行人を襲うというゲリラ的な事件が相次いだ。
 一連の騒動の発端となったカンポン・メダン周辺地区は, 低所得者の居住地で,不法占拠者(スコッター)の集落も多い。以前から犯罪多発地区として知られており,住民間のもめ事もしばしばあったと報じられている。そのためメディア,識者の多くは,都市貧困地区の不適切な生活環境や,異民族住民間の相互理解のためのプログラムの欠如が衝突の原因だと指摘している。
 今回の騒動は,ささいなもめ事が事件の発端であったが,「マレー人とインド人の抗争が生じた」との噂が発生したことにより,大規模衝突につながったとされる。いくつかの報道によれば,カンポン・メダン地区の住民は,地域内の異民族住民ではなく外からやってくる者を恐れているとされている。また事件発生から数日後には周辺地域に衝突が飛び火していることから,一連の衝突は狭い特定地区の住民間抗争というよりも,マレー人とインド人の間の民族間衝突の色彩が強い。つまり,噂が現実化してしまったという側面がある。しかし,多くの衝突,襲撃は少数のグループによる犯行であり,マレー人とインド人の関係が全面的に悪化するにはいたっていない。
 だが一方では,衝突が発生していない地域においてもマレー人,インド人の双方に相手に対する疑心暗鬼が生じたとも言われる。問題の根本的な解決のためには,行政による都市貧困地区の生活環境改善のための取り組みが必要であるが,まずは事態の沈静化のために政治指導者がイニシアティブをとることが期待される。とくにマレー人の社会生活においては政党指導者やイスラム指導者の影響力が大きいだけに,彼らが一致して事態収束のための努力を行えば,相応の効果が期待できるものと思われる。
 しかし,与野党双方にそうした動きは見られたものの,十分な効果を上げたとは言いがたい。また,与野党双方が今回の事件を相手方に対する攻撃材料として利用したのも,きわめて残念な事態だといわざるを得ない。


1. 事件の推移

 一連の事件の推移を追うにあたっては,警察発表による情報が十分でなく,また新聞各紙の報道に一貫性がないために,「いつ,なにが起きたのか」を正確に知ることが極めて困難な状況にある。ここでの整理にあたっては,マレー語紙2紙,英字紙2紙,インターネット新聞1紙を主に利用した。このうち1紙,あるいは2紙しか報道していないものや,新聞によって記述が大きく異なるものについてはソースを明示する。略称は以下の通り。
BH→Berita Harian,UM→Utusan Malaysia,NST→New Straits Times,Kini→Malaysiakini。
また,Jalan Klang Lama沿いの集落について,ここでは一括して「カンポン・メダン周辺地区」と呼ぶことにする。

3月4日(日) マレー人の結婚式にからむいざこざで2人負傷

 マレーシアの主要マレー語,英字紙の多くは,今回の一連の騒動を10日から報じ始めた。多くは一連の事件の発端を3月4日のマレー人の結婚式とインド人の葬式にからむいざこざで負傷者が出たことにあるとしているが,マレー語紙,英字紙にはこの説を詳しく報じた記事はない(華字紙,タミル語紙は不明)。唯一詳細に報じたのはシンガポールのStraits Timesの3月13日付の記事である。この記事によると,3月4日にカンポン・メダン周辺地区で以下のような事件が生じた。

 3月4日,マレー人が結婚式を,インド人が葬式を行おうとしていた。マレー人の結婚式のテントが路上に置かれていたことに腹を立てたインド人の葬儀列席者の一人がバイクに乗り,椅子や机を蹴るなどした。さらにこのインド人は,一度現場を去ったのち武装した10人の仲間とともに再び現れ,花嫁の父を含む2人のマレー人に怪我を負わせた。
 翌日(5日)何者かがインド人集落を襲撃し,車両を破壊。さらに7日には,交通事故でもめていたインド人グループ2組のケンカにマレー人2人が割って入ったところ,インド人とマレー人の争いに転化。この出来事の噂に尾ひれがついて瞬く間に広がる(ST0313)。

 やはりこの事件について報じたBerita Harianの3月5日付,および15日付の記事では,インド人の葬儀には言及せず,若干異なるストーリーを報じている。2つの記事をあわせると,以下のようになる。

 午前3時半頃,1人のインド人警備員がTaman Lindungan Jayaを通ってKampung Gandhiの自宅に帰宅。マレー人家族の結婚式の食事の用意のために道路の一部が封鎖されていた。
 酒に酔っていたものと思われるその男性は,椅子と通行止めのサインを蹴ったため,これに怒った花嫁の家族が男性を追いかけた。程なくしてその男性は,なた(parang)を手にした3人を含む5人のインド人男性とともに再び現れ,花嫁の家族を襲った。花嫁の父Awi Yunus(45)と隣人のShahril Sharif(20代前半)が腕を負傷した。Taman Lindunan Jayaの住人が所有する2台の車が壊された。
 その後同地区の住民が,報復としてKampung Gandhiの住民が所有する2台のバイクを焼くとともに,4台のバイクを破壊,2台の車のガラスを割った。
 この結婚式には,同地区の州議会議員Norkhailah Jamaluddinが出席。この地区では犯罪が多いため,交番の新設と警官の増員を求めると語る(BH0305, 0315)。

 主要各紙はこの4日の事件を8日以降の一連の事件の発端と位置づけて報道している。また3月10日付のUtusan Malaysiaは,この地区では1999年にももめ事があったとしている。しかしNik Yusufスランゴール警察長官は,9日の記者会見で,4日の事件と8日の事件の関連性を否定している(BH0310)。

3月8日(木)夜〜3月9日(金)未明 カンポン・メダン周辺地区で衝突発生

 一連の事件のうち最大の衝突と考えられる8日夜〜9日未明の衝突のきっかけについて,9日にスランゴール警察長官は以下のように説明している。

 夜9時半頃,パチンコで遊んでいた数人の子供がインド人男性の車のガラスを割ったことをきっかけに争いが始まった。子供の家族とのちょっとした口論が生じたが,武器を使った抗争が始まったという噂が流れたことによって争いが拡大した。(BH0310)

 ここでは,車のガラスを割ったのが何人かは言及されていない。スランゴール警察長官が明らかにしなかったのか,それとも報道機関が報道しなかったのかは不明。しかし文脈から見て,マレー人の子供であると考えられた。シンガポールのストレイツ・タイムスは,マレー人の子供がトラックのガラスを割り,トラックの持ち主であるインド人と子供の家族との間で争いが始まったと書いている(ST0313)。
 しかし,3月13日付STAR,および3月15日付Berita Harianは,マレー人が運転していたインド人所有の車のガラスが,インド人の子供に割られ,インド人同士の争いが始まったという説を掲げている。

 8日午後9時45分頃,デサリア団地地区において,マレー人男性が運転するインド人男性所有のバンが,インド人の子供によってパチンコでガラスを割られた。運転手からこの件を知らされたバンの持ち主が子供とその家族に対して怒りをぶつけたために争いが生じた。
 マレー人運転手が争いを止めようとしたが,殴られてしまった。これを見ていた数人のマレー人住民が手を出し,この地区の2つの住民グループ間の争いとなった。なたや棒を持ち出すものもいた。(BH0315)

 Star,Berita Harianともに情報源を明らかにしておらず,また他紙がこの説に追随していないため,ST説とBH/STAR説のどちらが信憑性が高いのかは判断しづらい。
 3月12日に現場を視察したアブドゥラ副首相兼内相は,8日の事件の発端について次の2通りの説明をしている。

@数人のインド人どうしのケンカを2人のマレー人が止めようとしたことから事件は始まった。やがて止めようとしていた人々もケンカに巻き込まれてしまい,マレー人とインド人の衝突が始まったように見えてしまった。(NST0313)
Aこの衝突は誰かが計画したものではなく,2人の個人のケンカに端を発するもの。2人の人間のケンカによって生じた緊迫した雰囲気が,まるでマレー人とインド人の衝突であるかのように見られてしまった。(UM0313)

 このように8日の事件のきっかけに関する説明は,当局関係者,新聞各紙によってバラバラである。今回の一連の衝突に関する情報の錯綜ぶりを端的に示している。
 衝突がどのようなかたちで行われたのかは明らかではない。唯一New Straits Timesが,ナタや棒で武装した人々が低価格アパート近くの空き地で衝突したと記述している(NST0310)。一方,負傷者に3才の子供が含まれており,住民を無差別に襲ったものがいた可能性もある。
 この8日夜から9日の衝突で,1人が死亡(インド人),27人が負傷(BH0315)。警察は9日午後までに500人前後の人員を派遣した(UM0310)。

3月9日(金)〜10日(土) カンポン・メダン周辺地区で再び衝突→周辺地区へ飛び火

 カンポン・メダン地区で数回の衝突が発生。インド人のトラック運転手がナタなどで武装したグループに襲われ死亡。9日の衝突で負傷し入院したインド人男性1人が10日に死亡(UM0311,Sun0311,BH0315)。

3月10日(土)夜〜3月11日(日)未明 クラナジャヤで殺人

 @10日または11日にクラナジャヤでインドネシア人が殺害される。新聞各紙により事件のあった時刻および死亡時刻が異なり,正確な日付は不明。
 A10日未明の衝突で負傷したインド人男性が11日未明に死亡。

3月11日(日)クアラルンプールに飛び火

 午後9時半,または10時頃,クアラルンプール南部の商業施設,ミッドバレー・メガモールでマレー人男性がバイクに乗ったインド人男性に刃物で斬りつけられる。また同じくクアラルンプール南部のパンタイ・ダラム地区で,マレー人がインド人に襲われ負傷する事件が発生。新聞によって事件発生時刻が大きく異なり,この日パンタイ・ダラムでは複数回にわたって事件があった可能性もある。クアラルンプール警察長官は,これらの事件とカンポン・メダン周辺地区での事件との関連を否定していない(BH0313)。
 11日午後の記者会見でJamil Johari国家警察副長官は,その時点までに5人死亡,重傷者4人を含む37人が負傷,154人を逮捕したことなどを明らかにする。この後,警察による負傷者数の発表がなく,本レポート執筆時点(3月23日)での負傷者数は不明。一部報道機関は13日時点で負傷者52人と報じているが,数字の出所は不明。

3月12日(月)パンタイ・ダラムで事件続く

 小規模の争いが数回発生(BH0315)。パンタイ・ダラムで頭部に重傷を負い意識不明のインド人男性が発見される(BH0313)。
 この日,10日の衝突で重傷を負い入院していたインド人男性が死亡し,死者数が6人に達する。この後,死者は報告されていない。
 この日はカンポン・メダン周辺地域で火災が発生したが,警察は衝突事件との関連を否定。またクダ州のクアラ・カティルでは,ヒンドゥー寺院で発砲事件が発生。警察はプタリンジャヤ,クアラルンプールでの一連の衝突事件との関連を否定している。

3月13日(火)プチョンでMIC地方幹部らが襲われる

 プタリンジャヤより南部に位置するプチョンのプチョン・ウタマ工業団地内のヒンドゥー寺院で,4人のインド人男性がナタなどで武装した6人組の襲われる。マレーシア・インド人会議(MIC)の支部長を含む2人が手や頭を負傷。15日付NSTによれば,警察はこの事件と一連の事件との関連を否定したとされる。だが一方同じく15日付のBHでは,警察は一連の事件との関連を捜査中となっている。
 この日の記者会見で,警察はカンポン・メダン周辺地区に約1000人の警官を投入したことを明らかにする。

3月21日(水)再びカンポン・メダン地区で事件発生,4人負傷

 13日の事件以降,襲撃事件は報告されていなかったが,この日の朝6時から8時半までの間に立て続けに4つの事件があり,インド人4人が負傷した。22日の記者会見で警察が明らかにした。
 この記者会見でスランゴール警察長官は,これまでにプタリンジャヤの他に,クランとシャーアラムで4件,ゴンバックで3件,アンパンとカジャンで1件づつ事件があったことを明らかにした。「これらの事件は深刻ではなく,投石などの小さな衝突にすぎない」としている(BH0323)。これらの事件の発生日時,負傷者の有無などについては明らかにしていない。いずれにせよこの記者会見で,深刻な衝突が発生したのはプタリンジャヤの一部の地域に限定されているものの,小規模な事件はいわゆるクランバレー(クアラルンプール周辺の首都圏)一帯で広範に発生していたことが明らかになった。

3月22日以後〜? クランバレーで散発的に事件が続く

 24日以降,報道がほとんどなくなったため仔細不明。22日から24日までに,KL市内,スバンジャヤ,カジャンなどで事件が発生したことが報じられている(NST0324)。その後の疑わしい事件としては,4月1日にKL中心部のクラン・バスステーションで非番の軍人が襲われた事件や,同4日のカンポン・メダン地区での火災がある。


2. 事件の背景

(1) 貧困地区の治安問題
 カンポン・メダン周辺は低所得層が多く居住する地域であり,不法占拠者(スクォッター)集落もある。3月4日にマレー人の結婚式を機に暴力事件が発生した時点で,同地区の州議会議員であるノルカイラ・ジャマルディン議員は,この地区で犯罪が多発していることを認めたうえで交番の新設と警官の増員を訴えた(BH0305)。その後,多くのメディア,識者らも,同地区が犯罪多発地区であり,麻薬中毒者も多いとした上で,貧困による社会の荒廃が暴力事件の温床となっていると指摘している。また伝え聞くところによると,カンポン・メダン周辺地区では異民族間の衝突に限らず,同一民族の住民の間でも暴力沙汰がしばしば生じていたという。都市貧困地区で治安に問題があることが,今回の事件のベースとなっていると考えられる。

(2) 噂の流布
 今回の事件では,とくに発生当初の4〜5日間,メディアによる報道がきわめて少なかったこともあり,さまざまな噂,憶測が流れた。その中には,「インド人が集団でマレー人を襲っている」といった類のものもあった。上述したように,警察発表やマスコミ報道によれば,そもそも事件の発端はささいなもめ事にすぎなかった。ところが,誤解や情報不足によりさまざまな噂が流れため,数人のケンカだったものが多数の住民を巻き込む「マレー人とインド人の抗争」という図式に発展してしまった。

(3) 民族間の潜在的な対立感情
 今回の事件について,一部の政府高官や警察関係者は,民族間衝突であるとの見方を否定し,ギャングの抗争に過ぎないなどと主張した。しかし,額面通り今回の事件が単なる犯罪組織の抗争だと捉えるには困難な事象がいくつかある。
 まず,単なるギャング団の抗争事件と考えるには規模が大きすぎる。マレー人によるインド人襲撃事件,あるいはインド人によるマレー人襲撃事件は,クランバレーの様々な地区で数多く発生しており,警察は300人以上の身柄を拘束した。その後の取り調べもあまり進展していないことを見ても,少数のギャング団構成員のみが起こした事件とは考えがたい。そもそも,ギャング団が単一民族で構成されているかどうかも疑わしい。過去の強盗グループの一斉検挙などの報道を見ると,マレー人とインド人が組んでいる例もあるからだ。
 また,さまざまな人たちが被害にあっている。死者,負傷者の詳細についてはほとんど報道されていないが,明らかになっているだけでも,幼児や飲食店店員,トラック運転手,インド人政党(MIC)地方幹部などが襲われている。負傷して入院した被害者を見舞った政治家は,負傷者や死者の家族を事件の犠牲者と見なしている。死者,負傷者がギャング団構成員であるならば,おそらく対応はちがったものになっただろう。
 こうした点を考慮すれば,今回の事件は民族間衝突の色彩の濃い事件であり,その背景には潜在的な民族間対立感情があると考えるのが妥当だろう。
 警察による取り調べもあまり進展していない現時点では,今回の事件の性格や原因について,明確な答えを得るのは難しい。しかし,これまで明らかにされた事柄から判断するならば,治安に問題がある都市貧困地区で生じた小さな衝突が,さまざまな誤解,噂によってマレー人とインド人の対立と捉えられ,それが潜在的にある民族間対立感情に火をつける格好となって事件が拡大した,と考えられるのではないだろうか。


3. 政府,政党,政治家の対応とその問題点

(1) 警察の対応
 今回の事件はまずもって治安問題であり,事態収拾活動の先頭に立ったのは警察である。事件に関する政府の公式見解も警察を通じて発表された。なおマレーシアにおいては,相手が武装組織である場合を除き軍は国内の治安問題に関与しないという伝統があり,今回もカンポン・メダン周辺地区の治安回復活動には参加していない。
 警察は,スランゴール州警察のみならず,国家警察直轄の連邦警備部隊(FRU)や機動隊(PGA),および近隣州の警官を動員して治安回復にあたった。一時はカンポン・メダン周辺地区に1000人近くの警官が派遣され,パトロールや道路の検問を実施し,多数の武器を押収するとともに,衝突を予防するという見地から最終的に300人あまりの身柄を拘束した。
 警察のこれらの活動は暴力事件の予防に成果あげたものと考えられるが,いくつかの問題点も指摘されている。
 もっとも問題視されているのが,3月8日に衝突が始まった直後の対応である。午後9時半頃に始まった衝突を沈静化させるまでに,4時間を要している。一部の報道では,FRUが到着するまでの地元警察の対応が「プロフェッショナルではなかった」という住民の声が報じられている。スランゴール州首相の発言によれば,プタリンジャヤ署には警官が271人しか配置されておらず,最終的に治安回復に約1000人を要したことを鑑みれば,FRUやPGAのより迅速な派遣が必要だったと言える。
 さらに問題なのは,翌9日にも同地区で多数の犠牲者を出す衝突を許してしまったことである。警察は同地区に10日午後までに300人,11日午後には700人を配置したが,10日午後には同地区での暴力事件が収まっただけに,より迅速に大量の人員を派遣することができれば,被害を抑えられた可能性が高い。

(2) 政府の対応
 事件発生後,連邦政府,スランゴール州政府ともに,犠牲者家族の支援や,事件の背景となった治安状況の改善と住民間相互理解の促進,および住宅問題の改善などにむけた対策を矢継ぎ早に打ち出した。「事件が起きてからでは遅すぎる」という批判の声もあるが,今回の事件が教訓として生かされれば,今後の民族間衝突事件再発防止に寄与するであろう。以下に主な対策をあげておきたい。

a. 被害者支援策:被害者の家族に対し,金銭的支援を行う旨決定。

b. 治安維持・住民相互理解促進策:カンポン・メダン地区に3つの交番を新設。また,隣組(RT)復興策の開始。隣組は都市部において1975年に導入された制度で,おもな活動内容は住民が4人一組で行う夜間パトロールであった。通常,民族混合でグループを組むため,治安維持のみならず異民族住民間の相互理解の場にもなっていた。1970年代に州開発公社によって開発された住宅地には隣組パトロールのための立ち寄り所がつくられたが,1980年代に入り,民間のデベロッパーに住宅開発の主体が移行するとともに立ち寄り所はつくられなくなり,隣組制度も廃れた。また,もとより不法占拠者集落は隣組制度の対象外であった。

C. 3省合同による対策チーム設立:公共事業省,住宅問題・地方自治省,国民統合・社会開発省の3省がカンポン・メダン周辺地区の不法占拠者問題解決のための対策チームを設立。

d. スランゴール州政府による不法占拠問題対策:同州政府は,1億リンギを拠出し不法占拠者の低価格住宅購入(または賃借)を支援するための基金を設立することを決定。購入にあたっては,頭金なしでの購入が可能となる。ローンが焦げ付いた場合は州政府が物件を差し押さえて希望者に転売する。

e. 第3次長期開発政策(OPP3)におけるインド人経済:4月3日に国会に上程された10カ年開発計画である第3次長期開発政策において,政府はインド人の資本保有率を3%に引き上げることを目標に定める。

(3)政党,政治家の対応
 最初の大規模衝突の翌日の9日には,スランゴール州首相のモハマド・キール・トヨ氏(UMNO所属),MICのサミー・ヴェル総裁(公共事業相)らが現場を訪れ住民から事情を聴取するとともに対応策の策定に乗り出した。事件発生当初,首相,副首相が現地訪問をしないことが批判されていたが,12日にはアブドゥラ副首相兼内相が,マハティール首相も29日には現場を訪れた。
 一方野党政治家は,3月12日にオルタナティブ戦線(Barisan Alternatif)として共同記者会見を行い,アブドゥラ副首相にこの問題に関する協議を申し入れるなどするとともに,翌13日には現地を視察して住民から事情,要望を聞いた。
 こうした活動,とりわけスランゴール州首相らの素早い行動は高く評価されるべきだろう。しかし,民族間衝突という問題の質と潜在的なリスクの大きさを鑑みれば,今回の事件に対する政党,政治家の行動が十分だったとは評価しがたい。
 まず与党側についていえば,国民戦線(BN)構成各党はそれぞれの民族の利益を代表する政党であり,異なる住民間の敵対感情や疑心暗鬼の解消のためにより積極的に活動できたのではないか。とりわけ3月10日以降の暴力事件は,カンポン・メダン地域から周辺各地に飛び火し,かつゲリラ的に行われたたために,警察のパトロールによる予防がきわめて難しい状況にあった。それゆえ事態の沈静化のためには住民感情を静めることが求められていた。その中で,UMNOとMICの青年部がカンポン・メダン周辺の若手党員を組織して自警団を結成し,住民協力促進のイニシアティブをとりつつ治安回復のための努力を行ったことは高く評価できる。しかし全般的には,与党政治家の多くは,事件が続いている最中にも「すでに事態は収まったと」発言するばかりで,各民族を代表する政党,政治家として具体的な対策のイニシアティブをとる姿勢があまり見られなかったのは残念である。
 具体的で実効性のある行動ができなかったという点では,野党側も同様である。1999年以降,野党4党はオルタナティブ戦線の名の下に協力関係を築いており,野党を支持する住民に対して具体的に働きかける余地はあったはずだ。しかし野党の行動の力点は政府や警察の批判にあり,住民感情の沈静化や衝突の再発防止につながる努力はほとんど見られなかった。
 政治家,政党の行動でもっとも残念な点は,今回の問題の解決に向けて協力する姿勢がまったく見られず,むしろ与野党対立という政争の具として利用していたことである。野党側は,前述したように問題解決にむけての努力よりも政府批判に力を入れていた。とくに共同記者会見において,十分な裏づけがないにもかかわらず,死者数は警察発表の数字よりも多いと発言したのは問題である。このようなあいまいな情報を流したところで,問題解決につながらないどころか,むしろ事態を悪化させる可能性がある。
 与党側でも,マハティール首相やサミー・ヴェルMIC総裁らが,特定の意図を持った集団が事件の背後にいると「陰謀説」を唱え,とくに首相は今回の事件と政権奪取を図る野党とを結びつける内容の発言をしている。だがどちらも,陰謀説の根拠を明示していない。今回の事件が偶発的なものではなく,「黒幕」がいると主張するならば,十分捜査を行った上でその根拠をあきらかにするべきだろう。与党政治家が安易に陰謀説を唱えては,単なる責任逃れ,あるいは野党に対する中傷と認識されかねず,政府に対する信用を傷つける恐れがある
 民族衝突はマレーシア社会の各層にとって共通の脅威である。今回のように偶発的に発生し,かつ比較的小規模なものであったとしても,将来に禍根を残しかねないリスクはある。繰り返しになるが,マレーシアの主要各党,とくに与党側は各種族を代表する政党であり,民族間の利害を調整する組織として機能することが期待されている。よって今回のような事件にあたっては,各政党が立場の相違を乗り越え,一致協力して事態の早期沈静化に向けた努力を行うべきだったのではないだろうか。だが現実には,与野党間の対立という政治的文脈の中で利用されただけで終わってしまった。
 今回の事件は,多民族社会であるマレーシアの潜在的なリスクを露呈した事件である一方,警察による治安回復策がおおむね奏功したことや,大多数の住民が平穏を保ったという点において,逆説的ではあるが,民族問題を巧みに処理してきたマレーシア社会の安定性が証明されたと肯定的に解釈することもできるだろう。しかし,政党,政治家が各民族のリーダーとして期待される役割を果たそうとする意思があまり見られなかったことが懸念材料として残った。



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